大学院授業[2019]

東京大学大学院・総合文化研究科・超域文化科学専攻

文化人類学コース 開講授業 [2019年度]

岩本通弥 日常学としての民俗学:近代、文化的実践、日常生活という問題(Sセメスター)

近代、文化的実践、日常生活という問題を、柳田國男『明治大正史世相篇』(講談社学術文庫、1993=1931)を基軸に、小山静子『家庭の生成と女性の国民化』(勁草書房、1999)など、生活改善運動に関する諸論考とを、合わせ読むことで考えていく。柳田『明治大正史世相篇』の最終章は、「生活改善の目標」である。昭和6年という「農業恐慌」の真っ只中に刊行された本書を、歴史的社会的文化的な文脈の中で、再定位させることを目的とする。


岩本通弥 日常学としての民俗学:近代、文化的実践、日常生活という問題(Aセメスター)

近代、文化的実践、日常生活という問題を、柳田國男『明治大正史世相篇』(講談社学術文庫、1993=1931)を基軸に、日本近代史や生活改善運動に関する諸論考とを、合わせ読むことで考えていく。『明治大正史世相篇』の最終章は、「生活改善の目標」である。昭和6年という「農業恐慌」の真っ只中に刊行された本書を、歴史的社会的文化的な文脈の中で、再定位させることを目的とする。同時に、民俗学と日常史のありようも考えていく。今学期は第2章の「食物の個人自由」を中心に熟読し、関連する文献も読み進めていく。

 

福島真人 テクノロジーの人類学(社会学・科学論)ー文化/社会の中のテクノロジーを考える

本演習は、テクノロジーと文化・社会の関係について、特に人類学/社会学/STS(科学技術の社会的研究)といった分野で議論されてきた主要な論点について、初歩的な紹介を行なうものである. 現在、テクノロジーは我々の文化、社会のあらゆる領域に影響を与えており、またその内容も、ロケットやダム、ナノ、コミュニケーションメディアと様々である.また人の身体、生命にかかわる技術、たとえば遺伝子操作や薬の合成、さらに心理的操作もここでいうテクノロジーにはいる.

他方、テクノロジーと文化・社会の関係は、一筋縄ではいかない.テクノロジーとは、単に科学的知識がモノの形をとったものではない.スペースシャトル、インターネット、創薬といった様々なテクノロジーは、社会的、文化的要請と科学技術の複雑な融合体である.

こうした多様なテクノロジーの発展過程については、すでに多くの研究がある.たとえばテクノロジーは、特定の意図をもって誕生するが、時間がたつにつれ、初期の目的とは違う方向へと変化する場合も多く、「ユーザー」の文化・社会がその進化に大きな影響を与えている.またユーザーのテクノロジー経験(さらに依存症)といった問題が近年関心を呼んでいる.またテクノロジー全体は、進化や生態系に似ているが、その相互の関係は、単純な勝ち負けではなく、共存する場合もすくなくない(紙やラジオ). またテクノロジーが誕生する時、しばしば熱狂(ハイプ)がみられるが、時間を追うごとに、失望に転化することもある(近年のAIブーム?).

本演習では、こうした様々なトピックの中から代表的ないくつかのテーマを取り上げ、演習形式で授業をおこなう.

この演習の目体は、こうした超データ化社会におけるデータやエビデンスという考えがもつ、文化社会的な特性、そしてそれが与える影響を、できるだけ多方面から議論しようとするものである.特にここでは、人類学、社会学的な観点を中心に、われわれの日常生活そのものに直接関係しうる問題で、近年ホットなテーマをいくつか取り上げて、その複雑な諸相を読み解く.

 

箭内匡  自然とアフェクトの人類学——植物・人間・環境

この授業では、近年大きく発展してきた「自然の人類学」を中軸にして、今日的な視野からの考察を行う。「自然の人類学」が行ってきたのは、自然と人間の関係の本来的な多様性(自然科学による自然の把握はその一つの形でしかない)を経験的に負うことである。これは、いわゆる存在論的転回やマルチスピーシーズ民族誌による問題提起とも関わっている。

とはいえ自然というのは茫漠とした対象である。そこで、この授業で相対的に重要な位置付けを与えられるのは植物である。植物は、動物よりもはるかに擬人的に理解することが困難な、「他なる存在」である。しかしそれは他方で、我々が「自然」や「環境」という言葉を思い起こす時に自動的に緑色のイメージが出てくるように、「自然」ないし「環境」の中で核心的な位置を占めており、我々にとって欠かせない存在である。植物について考えることは、その意味で、「自然の人類学」のための重要な手がかりになる。

もう一つの重要な概念はアフェクトである(このアフェクトという言葉の意味は、英語の「作用する」、「影響する」という意味のaffectの、名詞形と考えればよい)。自然と人間との関係を観念的に考えるのではなく、むしろ自然ないし環境が現れ、我々をアフェクトする、その仕方の中に自然と人間の関係が存在する、というのが基本的な視角となる。

授業の終盤では、こうした今日的な「自然の人類学」が現代世界の考察に関してどのような理解をもたらすのかについて考えてみたい。


田辺明生 倫理の人類学ー宗教・情動・政治

人類学の「倫理的転回」が語られるなど、近年の文化人類学においては「倫理」(ethics, morality)が中心的なトピックの一つとなっている。本授業では、文化人類学において倫理やモラルの問題がどのように論じられてきたのかを概観すると同時に、特に現在の人類学における「倫理」をめぐる問いを主要な理論的著作と民族誌を参照しながら論じていく。倫理の問いは、宗教、情動、政治といった広い問題と不可避的に関わっている。倫理の問題を軸としつつ、現代世界および現代人類学を問い直すことを試みる。


田辺明生 人新世の人類学ー科学技術・社会運動・倫理思想

人新世とは、2000年に大気化学者P.クルッツェンが完新世後を指す地質時代の区分として提唱した時代である。人類の活動が地球規模の環境変化をもたらした時代と定義される。現代世界における気候変動や環境破壊への不安と呼応して、現在、人新世に関わる議論はきわめて活発になっている。人新世をめぐる諸問題は、政治、倫理、科学を根本的に問い直すことをわたしたちに要求しているといって過言ではない。本授業では、人文社会科学において人新世がどのように論じられてきたのかを概観すると同時に、特に「人新世の科学技術・社会運動・倫理思想」をめぐる人類学の主要な理論的著作と民族誌を参照しながら、現在の新たな人間と環境をどのように理解できるかを論じていく。


渡邊日日 言語人類学講義

どれほど「身体」や「モノ」などが論じられようとも、人間の様々な営みにおいて言語コミュニケーションが果たしている役割の大きさ、また、民族誌的フィールドワークにおいて言語を用いての調査が持つ重要性は、否定しようもない。人がそれでもって社会を作り、傷つき、力を与えられるところの言語・ことばについて、文化人類学・言語人類学の観点から講義する。具体的には、言語と思考/リテラシー/階級/ジェンダー/人種/エスニシティ/多言語状況/行為遂行性(パフォーマティヴィティ)/言語の死と活性化事故研究/医療などを扱う。目標は、言語・ことばの残酷さを敏感になりながら冷静な視線を取り戻すこと、これである。


渡邊日日 博士論文ライティングアップ・セミナー

原則として、民族誌の形をとった博士論文を執筆している文化人類学コース博士課程の院生を対象としたゼミ。フィールドワークを終えてからどのようにして、〈まとまりのある文の塊〉を形作っていくか、幾つかの事例を読み解きつつ、〈実践〉を行い、参加者同士で共有し、そしてさらなる次の〈実践〉へとつなげていきたい。受講希望者は事前にメールを送ること。具体的にどう行っていくかから受講者と話をすることから始めたい。


渡邊日日 Current Anthropology誌を読む

文化人類学の専門雑誌は多々あるが、Current Anthropology誌は、論文だけでなく、複数の評者によるコメントとそれへの著者への返答が同時に掲載される方式ゆえ特徴的な雑誌である。見解の分布、読まれ方の多様性、論点の偏差など、「論文」を最初から最後まで精読して読み解くべき事柄は多く、「教材」としても最適な媒体と言える。本ゼミでは、2週間に1本のペースで「論文」全体を読み、文化人類学の〈今とこれから〉を見据える視座を作っていきたい。それは同時に、人類学の同一性の確認作業とともに、そこから自由になることの可能性の承認作業でもある。さしあたり、以下のテーマ(アイウエオ順)のなかから受講者の関心に応じて選択するつもりだが、若干の変更もありうる。受講希望者は初回、どのテーマを発表したいかある程度は決めたうえで出席してほしい。

テーマ予備軍:HIV/NGO/音/気候変動/クィア/所有/新自由主義/親族/身体/石油/贈与/デジタル/反記号論的転回/暴力/水/未来/歴史。

 

関谷雄一  ノスタルジアと持続的開発

開発と文化の問題群を議論する領域において、「ノスタルジア」という言葉で意識され語られている事柄は、かなり重要な要素と機能を包含している。近代においては急速な技術革新とともに失われていく伝統的な技術や生活スタイルはノスタルジアとともに捉えられてきた。19世紀末以降、人類学者たちが未開世界に調査に出かけていき発見してきた異文化の事象も、急速な文明化により忘れられた素朴な人間と自然との関わり合いへのノスタルジーとともに紹介されてきた。

グローバル化とともに加速される社会文化的変容の中で、ノスタルジア概念とともに捉えられる人間と自然の関わり合いは、過去を振り返るベクトルだけでなく、現在の事象そして未来への希望をも照らしうる鍵概念としての役割を果たしていることが指摘され始めており、持続的開発という課題とも重要な接点を持っていることも分かり始めてきた。本講座ではこのような、開発と文化の問題群におけるノスタルジアについて、文化人類学の研究潮流に軸足を置きながら考察をしていく。


関谷雄一  アフリカの文化人類学

  この講座では、現代アフリカ社会の様々な問題に関して、気鋭の人類学者たちが行っている最新の議論を関係する論文を履修者全員で読みながら考察していきます。余力があれば、履修者自身の研究について、講座内容と関連付けながら発表をする場を設けたい。


津田浩司 宗教人類学を読む(3)

人類学において宗教がどのように論じられてきたかについて、概説的に編まれた論集を読みながら種々の分析視角を養う。特に、具体的な民族誌的論文を読むことで、個別的事例から人類学的にいかなる知見を導き出せるかについて考えていきたい。


宮地隆廣 公共政策学の基礎(Sセメスター)

公共政策学は政策の形成、導入、効果について、とりわけ因果関係に強い関心を向けて分析をする学問である。その基礎的な文献を読むことを通じて、政策を批判的に検討する考え方を養うことがこの授業の目的である。なお、この授業は月曜3限「科学認識論I」と連関を持つ。


宮地隆廣 公共政策学の基礎(Aセメスター)

Sセメスターに引き続き、公共政策学を扱い、基礎的な文献を読むことを通じて、政策を批判的に検討する考え方を養うことがこの授業の目的である。

 

名和克郎 現代社会・文化人類学史再考─1920年代生まれの人類学者達の軌跡から

第二次世界大戦後、北米文化人類学では現在まで続く幾つかの学問潮流が新たに生まれ、イギリス社会人類学はゆるやかにその方向性を変え、日本では「文化人類学」「社会人類学」が改めて導入された。こうした展開を中心的に担ったのは、第二次大戦のすぐ後に研究者への道を選んだ研究者達であった。ここでは、ほぼ同じ時代を共有し、現在も読み継がれているこの世代の社会・文化人類学者の多様な軌跡を、実際のテクストを参照しつつ具体的に辿ることで、諸理論の概観に終始しがちな学説史の知識を顔の見えるものにすると共に、現在我々がそこから何を学びうるかを、改めて考えていきたい。


名和克郎 博士論文ライティングアップ・セミナー

文化人類学コースにおいて博士論文を書き上げるためのセミナー。フィールドワークを終え、博士論文を準備中、或いは執筆しつつある文化人類学コースの博士課程の大学院生のみを対象とする。発表者が博士論文のドラフトの一部を発表し、セミナー出席者からのコメントを受けることで、論文完成へとつなげることを目的とする。


藏本龍介 組織の人類学

組織とは、共通の目的を達成するために協働する複数の人間の集まりを指す。人間が一人でできることは限られる。しかし他人と協働することによってその限界を克服することができる。それゆえに歴史上、組織は人間生活に欠かせない一要素となってきた。それは現代社会においても同様である。それどころか、現代社会における人間の生き方は、多種多様な組織がなければ成立しえない。現代社会が組織社会と呼ばれる所以である。したがって組織なるものの特徴、ダイナミズムを理解することが、人類学においても重要な課題となっている。

そこで本授業では、諸文献の購読を通じて「組織とはなにか」「組織をどのように分析できるか」という問題を検討することを目的としている。具体的には、社会学や経営学といった隣接社会科学を含む組織論・制度論や、組織を対象とした民族誌(企業、NGO、学校、宗教組織など)を取り扱う。受講者からの文献の提案も歓迎する。

 

森山工 コルシカ・フィールドワーク・関係性

本授業では、フランス地域圏に属するコルシカを舞台に設定し、そこにおける文化のあり方を考察する。とくに、コルシカにおける文化人類学的なフィールドワークによって、どのようなコルシカ文化像が描けるのかを検討することを目的とする。

コルシカは、言語的にはイタリア語との近接性が強い言語を有しており、1769年にフランスの支配下に組み込まれて以降、フランス内部でのその文化の独自性が着目されるとともに、政治的・制度的な位置づけが問題とされてきた。そこには、コルシカの「島嶼」としての地理的な条件も大きく影響している。コルシカが「島嶼」という地理的な「実体」であることから、コルシカ文化とされるものも一様かつ均質な「実体」であるという一種の思いなしが導かれてきたのである。

本授業では、コルシカ文化が一様かつ均質的な「実体」であるとするこの思いなしを批判的に検討する上で、緻密な文化人類学的フィールドワークにもとづく研究成果を題材として取り上げる。それを通じて、コルシカに住まう人々(一時的な滞在者を含めて)が、どのような文化的な実践を行いつつ、みずからの内部にさまざまな境界線を引いているのかを明らかにするとともに、人々の界面としてのその境界線が、どのように人々を分離し、また接合しているのかを考察する。

本授業ではまた、このような作業を経由して、フィールドワークという学的営為そのものへと考察を深めたい。それにより、フィールドワークの特性とともに、フィールドワークの成果としての文化の描き方について、方法論的な関心を向けることとする。

  

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