渡邊日日

日日 WATANABE, Hibi  [教授]

文化人類学・民族誌学・シベリア民族誌・ロシア思想史

フィールドは旧ソ連。



Email:  

watanabe@anthro.c.u-tokyo.ac.jp


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自分について

私にとって「文化人類学」は,一度,向こう岸の「他者」の立場から「自分」や周囲を見つめ,そのあと,もともとの岸辺に「戻って」こようとすること,です。望ましいのは,戻ってきたとき,以前にいた座標から少しずれていることです。まるっきり同じではなく,また,まったくずれているのでもなく,というところが肝心かとも思っています。

これまで主に次の領域で研究してきて,あるいは,研究を進めて,います。

【1】ロシア連邦ブリヤート共和国を事例とした,知識・政治経済・集団範疇・言語・学校教育に関する民族誌的研究。1990年代後半,モンゴル国境に近い南シベリアの村落で実施した長期のフィールドワークをもとにしたものです。2000年代にも追跡調査をしました。まだ少々,論点の「回収し忘れ」がありますが,おおよそこの研究は一区切りつきました。

(代表例)

[2010]『社会の探究としての民族誌:ポスソエト社会主義期南シベリア,セレンガ・ブリヤート人に於ける集団範疇と民族的知識の記述と解析,準拠概念に向けての試論』,東京:三元社。

[2023]Double-edged publicity: The youth movement in the 2000s Buryatia, In Vladimir Davydov, Jenanne Ferguson & John P. Ziker, (Eds.), The Siberian World, New York: Routledge, pp. 232-245.

【2】概念に関する理論的検討。これまで,機能やリスク,言語について扱ってきました。不確実性についてちかぢか論文が公刊される予定です。いずれ,民族誌的思考の系譜に関するまとまった本の一部に組み込みたいと願っています。最近では,医療の現場と言語の問題との関わりについても考えています。

(代表例)

[2004]「全体論・機能主義・批判理論:現代社会に於ける人類学的思考の為に」,『社会人類学年報』,30,89〜119頁。

[2014]「航空事故をめぐるリスクの増殖:コミュニケーションというリスクに関する理論的寓話」,東賢太朗・市野澤潤平・木村周平・飯田卓(編)『リスクの人類学:不確実な世界を生きる』,京都:世界思想社,157〜175頁。

[2020]「医療における多言語研究の試みについて」,『ことばと社会』(東京:三元社),22,142〜188頁。

【3】目下,3つの研究プロジェクトを進めています。1つが,19世紀シベリアを対象としたロシア社会思想史とシベリア民族学史とを架橋する作業(シベリア地方主義と革命思想との関連など)です。他者を発見し,調査し,記述し,公表するという営みはすぐれて民族誌的実践ですが,それを具体的な歴史的現象として解明できないかと考えているのです。民族誌的知見の生産と流通は,狭い意味での学説史的対象というよりは,思想史ないしは精神史的な枠組に位置づけられるべきものと思っていますので。

(代表例)

[2018]「シベリア地方主義と『女性問題』:シャシコフの評価をめぐって」永山ゆかり・吉田睦(編)『アジアとしてのシベリア:ロシアの中のシベリア先住民世界』,東京:勉誠出版,82〜97頁。

【4】2つ目が,言語と社会,知識の社会的布置についてです。【1】の後継となっていますが,昨今のウクライナ戦争の関係のこともあり,旧ソ連圏における言語と社会については,今後も関心を寄せることになりそうです。

(代表例)

[2022]「遠い友への書簡:ウクライナ情勢・シベリア民族学・言語と民族と地理の問い」,『ことばと社会』(東京:三元社),24,274〜302頁。

【5】3つ目が探求に関する理論的課題です。【3】の姉妹編のような位置づけで,こちらではもっぱら理論的・概念的に探求や観察が開始したり可能になったりする条件や過程を明らかにし,民族誌的営みの意義について深く考えたいと思っています。記号論やパース,デューイらのプラグマティズムに関心を寄せているのもこのためです。

進学を考えている方へ

「文化人類学」は,ある違和感・ずれの感覚に気づくところから出発します。そして,その感じの発生源の所在(自分のなかか,あるいは地理的に・時間的に遠いところか)は別にしても,そこを出発点にして,本を読んだり調べに出かけたりします。みなさんが一歩一歩,歩み進めていくにあたって,よい助言者になれればと思います。

ずれの感覚とは,別の言い方をすると,違った見方で自分や対象を見つめ直すということです。そうして自分や対象を相対化できますし,また,より広い視野のなかで見つめることができますし,そうすることで少しは余裕を持つもできるでしょう。研究にあたっては,自分のテーマを深く突き進む必要がありますが,同時に,別の文脈に位置づけてみることも極めて重要です。この点,駒場の文化人類学コースは学ぶのに最適な環境だと思っています。それは一つに,当コース自体が,文化人類学のほかに政治学や歴史学,民俗学を専門とするスタッフがいて多元的な構成をとっていること,第二に,総合文化研究科自体が文理融合の一つの宇宙をなしていて,多くのことを同時に学習できる場だからです。

みなさんがいまこのサイトをご覧になっているということは,なにか「ひっかかり」を感じ,問いをたて,学術的に考えようとしているからだと思います。米国のある絵本作家の次の言葉が,そうしたみなさんへの良き指針となるのではないでしょうか。Write something you don't know but long to know(まだ分かっていないけど,分かりたいと願っていることを書きなさい)。みなさんが修士論文や博士論文を書くお手伝いをできればと願っています。

大学院での勉学について

大学院では,自分の力で一つの作品(修士論文・博士論文)を作成することが最大の目標となります。そうした作成作業を私は,しばしばミステリーの執筆に喩えます。自分が気づいた謎を,読み手とも共有し,ともに解決するという作業です。謎を共同で解くべきものとするにあたっての最初の作業は,多くの作家がそうしているように,しっかりとした「時代考証」を踏まえてその謎の背景を示すことです。先行研究を広く探索し,謎を解くにあたって必要な情報を収集し,得られた知見についてとことん考え抜くことから始まります。この作業は,たしかに自分の力で行うという点でときに孤独な営みですが,一方で,先行研究を読み,周囲の人(同窓生や教員)と話し合う中で行われますので,他者とのネットワークのなかで進むとも言えます。駒場をそういう豊かなネットワークの場とすることが教員の大事な役目です。

これまでのゼミで扱ってきた論点

これまで,ゼミでは,次のような論点を扱い,関連文献を皆さんと読んできました(旧ソ連や旧東欧,シベリアなど特定の地域に特化したゼミについてはここでは触れません;五十音順)。

価値/語り/記号/教育/共有財/言語/公共性/誤解/市民社会/社会運動/政策/多文化主義/知識/デザイン/同時代性/民族/メディア/臨床


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【文化人類学研究室・教員関係ページ】  

教員紹介(全体)・・・コース教員一覧(各教員の研究内容概要、個別ページへのリンクを含む)

教員による著書・・・スタッフの著作の表紙画像(内容紹介ページへのリンク付き)

進学を考えている人へ(全体)・・・教員スタッフからのメッセージ(「進学情報」セクション内)

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オオツキ グラント ジュン OTSUKI, Grant Jun  [准教授] 

藏本 龍介 KURAMOTO, Ryosuke [准教授]  (東洋文化研究所)

後藤 はる美 GOTO, Harumi [准教授]

関谷 雄一 SEKIYA, Yuichi [教授] 

塚原 伸治 TSUKAHARA, Shinji [准教授]

津田 浩司 TSUDA, Koji [教授]

中村 沙絵 NAKAMURA, Sae [准教授]

名和 克郎 NAWA, Katsuo [教授] (東洋文化研究所)

浜田 明範 HAMADA, Akinori [准教授]

宮地 隆廣 MIYACHI, Takahiro [教授]

箭内 匡 YANAI, Tadashi [教授]

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森山 工 MORIYAMA, Takumi [教授]  ※兼任教員、総合文化研究科地域文化研究専攻

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