大学院授業[2013]

東京大学大学院・総合文化研究科・超域文化科学専攻

文化人類学コース 開講授業 [2014年度]

木村秀雄 資本について考える(1)

経済学における「資本」の概念からはじめ、人間のcapacity、cpability、文化資本、象徴資本、社会関係資本など、「資本」ならびにその周辺概念についてまとめて考える。

木村秀雄 資本について考える(2)

夏学期に続き、「資本」ならびにその周辺概念について考える。


川中子義勝 聖書の思想 ──「聖書詩学」の試み

宗教と詩の関わりについて考え続けている。今回は「聖書詩学」と題して、聖書における詩、あるいは聖書と詩の関わりについて、その思想的・文化史的な意味を考察する。 聖書に収められた古い詩から近現代の詩的表現に至るまで、すなわち、旧約聖書の詩篇や、民衆詩としてのコラールや讃美歌、さらには近現代の抒情詩や詩的物語(譚詩・メルヘン)などを取り上げつつ、詩表現の意義を考える。 はじめは旧約の「詩篇」や「預言書」など聖書中の詩を中心に扱う。 この部分は、聖書のテクストをたどりつつ講義をするので、旧約・新約聖書の世界への入門という意義をも持つであろう。 つづいて「詩篇」が後のキリスト教史において果たした役割を跡づけるが、その芸術や音楽における展開にもふれる。 「ドイツコラール」などの様式が成立し、バッハのカンタータなどにおいて展開する経過を跡づけていく。 さらに、「信仰詩の(不)可能性」と題して、そうした形式が現代において困難になっていく過程をたどる予定だが、このテーマは冬学期に継続することになろう。 日本の詩の状況などにもふれる予定。

川中子義勝 現代社会における詩の可能性 ──「聖書詩学」の試み

夏学期は「聖書詩学の試み」と題して、聖書における詩、あるいは聖書と詩の関わりについて、その思想的・文化史的な意味を考察した。 冬学期もそれを継続するが、ゼミ形式を取るので新規の参加も可能である。旧約聖書の詩篇や、民衆詩としてのコラール・讃美歌、さらには近現代の抒情詩や詩的物語(譚詩)、劇詩・戯曲などを取り上げつつ、詩的言語による表現の意義を考えるが、冬学期は、近現代の視点から振り返る形を取ることになろう。 「人間」「世界」「神」という思想的主題をめぐって「詩篇」などの聖書のテキストが、後の時代において受け止め直されるその仕方に注目する。 とくに「信仰詩の(不)可能性」を考察の中心に据え、宗教詩が現代において困難になっていく過程を跡づける。 「社会」と詩の関係に焦点を当てて、例えばドイツ表現主義の歴史と意義を問うことも予定している。 日本の詩の状況などにもふれる予定。 


岩本通弥 現代民俗学の射程―ドイツ民俗学のナラティヴ研究と比較対照させて

戦後ドイツ民俗学転換の起点となったのは、1961年に刊行されたヘルマン・バウジンガー『科学技術世界のなかの民俗文化』(河野眞訳、文楫社、2005年)であるが、ここでいう科学技術世界の「世界」とは、「生活世界」の意味であって、その理論的背景にはフッサールの現象学が基底として横たわっている。本書がロマン主義的な「連続性」に基づいた、従前の民俗学の基本認識を、現象学的観点から根本から問い質したことによって、戦後のドイツ民俗学は、このバウジンガーの理解を前提に、1970年のファルケンシュタインでの年会において、その定義をはじめ、画期的な大改革が提示された。 それは「ファルケンシュタインの原則」と呼ばれるが、民俗学を文化形態の「移転のプロセスを分析するもの」として再定義し、文化形態の指標となる文化的価値観には、「客観的に表出」されるものと、「主観的に表出」されるものとがあると弁別した点に、新たな民俗学の「方法」も含意されている。後者の「主観的」な表出には、昔話や伝説など、それまでの民俗学が培ってきた「口頭伝承」研究が基盤となって、新たな展開が示されており、アルブレヒト・レーマンの「日常の語りアーカイヴ」をはじめとする一連の研究は、その一端である。市民のオーラルヒストリー運動(歴史工房)ともパラレルに進行しているが、両者には微妙な相違が潜在しているには、アカデミズムとしての民俗学という「知の伝統」の拘束による。 日本でも近年、現象学的社会学や質的心理学をはじめ、ナラティヴ(≒語り)が、多くの研究領域で注目を集めているが、それらを参考にしつつも(また日本における口承文芸研究の蓄積も)、民俗学にとってのナラティヴ研究の新たな可能性について考えてゆきたい。 


福島真人 知、科学、権力の人類学-科学技術と力/権力/政治

近年の科学技術にまつわる様々な問題が我々の日常生活に大きな影響を及ぼすようになり、科学・技術的実践と社会・文化との関係への関心は益々高まっている。 こうした領域への研究には多様なアプローチがあるが、この演習では、科学・技術的実践が世界に対して働きかけるそのあり方を、二つの領域に分けて、半年ごとに論じる。 夏学期はその前半にあたり、科学技術的実践を通じて生ずる、様々な力、権力の問題を、より広い文化社会的な文脈から考えることを目的としている。 科学的知識は普遍性をもち、それ故世界のあらゆる場所で通用すると信じられている。またその普遍性により、他の様々な領域に対して、強い力を発揮する。 しかしそうした普遍性が確立するためには、それを可能にする共通の道具、理論、装置、標準化と言った一連の仕組みが必要であり、それらが複雑に絡み合って、普遍性を誇る世界が誕生する。 しかしそれらの装置は、政治、経済、法律といった他の諸要素と複雑に絡み合っており、その複合性から力/権力の問題が発生するのである。この演習では、学問的用語としては混乱が目立つ、力/権力という概念を再検討しながら、 科学技術の持つ特性がこの力/権力という現象とどうかかわりあうかを論じる。


福島真人 テクノロジーの生態学-人、モノ、技術の人類学

現代社会においては、従来の自然と文化の古典的バウンダリが問題化され、新たなモノの出現による人工的自然と文化社会の関係が問われるようになってきている。こうした領域への研究には多様なアプローチがあるが、ここではさまざまなモノやテクノロジと人間社会とのかかわりを、ある種の生態系に見立てて、テクノロジの生態学的な演習をおこなう。テクノロジにはさまざまなタイプがあるが、モノとして見立てられる個別の製品から、社会全体を覆うシステムのようなものもある。またテクノロジの発展は、ある種のニッチ的な部分からそれがレジーム化し、さらにグローバルなランドスケープにいたるというミクロマクロの動態がある。 今学期は、そうした多様なテクノロジの展開を、それぞれの固有の性質と、社会への関わりを中心に議論していく。社会と技術はいわば共進化的であるが、その絡み合うプロセスを個別のケースをもとに議論していく。 


木村忠正 デジタルネイティブとソーシャルメディアの人類学

「デジタルネイティブ」あるいは「Born Digital(生まれつきデジタル)」とは、およそ1980年前後生まれ以降の世代を指す。日本社会で考えると、この世代は、2000年時点では人口の2割、そのうちネット利用率が高まる15歳~19歳は6%に過ぎないが、2010年現在ではおよそ3割、内15歳~29歳は16%程度にまで達した。つまり、2000年代から2010年代は、デジタルネイティブ世代が社会全体においても、ネット利用人口においても、存在感を強めていく過程にあたる。 また、2000年代はブロードバンド常時接続、モバイルインターネットが社会的に普及するとともに、ソーシャルメディア(ブログ、SNS、動画共有サイト、知識共有サイト、ソーシャルブックマークなど)が広く浸透した時期でもある。ソーシャルメディアは、ユーザ間、ユーザ-コンテンツ間、コンテンツ間にそれぞれ多様な関係性が取り結ばれ、その関係性を視覚的に把握する仕掛けが組み込まれている。そのため、コンテンツの集積が、たんにユーザ間の相互コミュニケーションではなく、メディアとして社会的現実を構成し、提示するほどの力を持ちうるようになった。 デジタルネイティブ、ソーシャルメディア、それぞれ、コミュニケーション研究、情報ネットワーク研究など多様な分野で調査研究が行われ、人類学、エスノグラフィー分野も例外ではない。そこで本演習では、2000年代におけるデジタルネットワークの生活世界への浸透を、デジタルネイティブとソーシャルメディアという観点から捉え、人類学的アプローチを含めた多様な調査研究を介して、立体的に理解することを試みる。


木村忠正 ヴァーチュアルエスノグラフィー

現代社会は、オンライン空間とオフライン空間が相互に浸透し合いながら、社会的日常空間を構成している。こうした新たな社会的空間におけるコミュニケーション活動の研究(CMC(Computer Mediated Communications)研究、情報行動研究とも呼ばれる)は、社会心理学、社会学、ネットワーク科学からのアプローチが多いが、文化人類学においても研究が徐々に蓄積されつつある。 そこで本演習では、ネットワークコミュニケーション行動を対象とした質的調査、さらには、質的研究と量的研究を融合したハイブリッドメソッドに関する方法論を体系的に議論する。この主題の定式化に示したように、本演習は、次の3つの関心領域が重なり合う位相にある。1)ネットワークコミュニケーション行動研究とそこでの質的アプローチの果たす役割、2)質的研究、エスノグラフィーに関する方法論的議論、3)質的研究と量的研研究の組合せに関する方法論であるmixed methods(定性・定量相補融合法)。 本演習では、上記3領域に関する文献を介して、「ヴァーチュアルエスノグラフィー」という調査研究領域を立体的に把握し、深めていく。 


箭内匡 ミシェル・フーコーと人類学

授業の目的は、主に人類学的研究を行う学生がフーコーの思想と自分の作業との接点を見出し、そこからアイデアを育てるための土台を提供することである。授業参加者は、発表や議論を通じ、1970年代以降にフーコーが展開した問題群を、自己の研究関心に即して探ることになる。人類学を含めた社会科学諸分野で今日注目を浴びている生権力論は、授業範囲に入るが、特にそれに照準を合わせることはしない。フーコー自身の著作(特にコレージュ・ド・フランス講義録)を中心に、それがどのように人類学的問題に展開されうるかを見るため、副次的に(フーコーから影響を受けた)人類学者による民族誌的研究を組み合わせて素材を提案し、授業の出席者の関心を考慮しつつ調整する。


箭内匡 映像とメディアの人類学

この授業では、現代的な視点から映像人類学への導入を行う。授業参加者は、人類学的映像を見ること、またそれについて言葉で議論することが、人類学の今日的な理論的思考を磨くことでもあることを知ることになるだろう(ジャン・ルーシュの仕事はそのための一つの根本的な参照点となる)。同時に、現代人類学の核心的問題の一つとしての「メディア」の問題について理解を深めることも授業の目的とする(そのため、映像人類学に属さない内容も部分的に授業に導入する予定)。※この授業は学部後期課程の授業と合併した形で行われる。


箭内匡 博士論文ライティングアップセミナー 

夏学期(名和教員担当)より継続。 


渡邉日日 エージェンシー概念再考

人類学者には、調査対象者のことを「悪く」書かず、何らかの積極性を見いだし、そう結論づける癖がある。そのような時、行為主体性(agency)という術語が多用されてきた。「マクロな」構造と、微視的な観察で見いだされる「ミクロな」行為との相関関係について、主としてマーガレット・アーチャーの議論を検討する。使用文献は、Sherry B. Ortner (2006) Anthropology and Social Theory, Durham: Duke UP; Margaret S. Archer (2003) Structure, Agency and the Internal Conversation, Cambridge: Cambridge UP. 


津田浩司 宗教現象の人類学

人類学において宗教がどのように論じられてきたかについて、論集を読みながら種々の分析の視角を養う。 あわせて民族誌的論文を読み、個別的事例から人類学的にいかなる知見を導き出せるかを考える。


津田浩司 民族・エスニシティ現象に関する民族誌を読む

民族・エスニシティに関する民族誌を読み、種々の分析の視角を養うとともに、個別的事例から人類学的にいかなる知見を導き出せるかを考える。 なお、対象地域は東南アジアを中心とするが、他地域の民族・エスニシティ現象に関心のある学生等の履修も歓迎する。 


名和克郎 言語人類学入門

社会・文化人類学者が行うフィールドワークにおいて通例大きな比重を占めるのが、言語を用いた情報の収集である。その過程で得られる「現地語」による資料は、言語学者の抽出する文法にも、翻訳された意味にも解消されない様々な情報を含み、多様な分析に対して開かれている。ここでは、音声学、音素論から会話分析に至る言語データの様々な取扱い方を、出来る限り具体的な形で紹介すると共に、「言語人類学」と大まかに総称し得る一連の研究を、社会言語学をはじめ周辺諸学の動向も踏まえつつ検討し、人々が行う言語を用いたやりとりから見えてくる言語と社会・文化をめぐる複雑な関係について議論していきたい。


名和克郎 博士論文ライティングアップ・セミナー

文化人類学コースにおいて博士論文を書き上げるためのセミナー。フィールドワークを終え、博士論文を準備中、或いは執筆しつつある文化人類学コースの博士課程の大学院生のみを対象とする。発表者が博士論文のドラフトの一部を発表し、セミナー出席者からのコメントを受けることで、論文完成へとつなげることを目的とする。


関谷雄一 持続的開発論入門(An Introduction to Sustainable Development)

本講座では、主として開発学や環境学において議論され実践されてきた「持続的開発」概念を検証する。概念の形成過程、実践の歴史と現在、到達点と課題につき関連するテキストを輪読しながら検証し議論をしてゆく。今でこそ「持続的開発」はMDG7においても言及されるかなり知られた言葉だが、汎用性がある反面、適切な用いられ方がされていないケースもある。本概念の形成・運用の背景をきちんと押さえながら、新たなる課題や展望についても考察する。


関谷雄一 途上国農村の生計戦略

発展途上国の農村の生計戦略について先行研究に基づく考察を行う。近年グローバル化とともに多様化している農村の生活実態を分析する。農民が構築する、生きるためのポートフォリオを、どのような理論的な枠組みに基づいて、どこまで調査できるのか、倫理的な問題も含めて検証する。
 a. 社会開発と応用人類学の歴史
 b. 開発援助と人類学の歴史
 c. グローバルイシューと人類学
 d. Indigenous Technology and Knowledge
 e. ベーシックヒューマン・ニーズ
 f. 参加型調査手法
 g. 社会開発の脱構築論・ポストモダニズム論
 h. 開発プロジェクトの民族誌
 i. 開発実践者の為の異文化理解輪
 j. 社会開発と組織論
 k. 参加型アクション・リサーチ論
 l. 普遍的枠組みか?相対主義的理解か?


森山工 「方法」としてのフィールドワーク

フィールドワークによって質的データを収集するということは、文化人類学という学的営為の中核をなしている。かつて岩田慶治は、フィールドワークというアプローチを、「(1)とびこむ、(2)近づく、(3)もっと近づく、(4)相手の立場に立つ、(5)ともに自由になる」こととして提示した。では、このプロセスを「方法」として位置づけようとしたとき、フィールドワークのどの部分が「方法化」に馴染み、どの部分が馴染まないのか。これを検討する中で、むしろ「方法化」に馴染まない部分を自覚的に取り出すことによって、文化人類学的なフィールドワークと、そこで構築される他者理解の一つのありようについて考察する。


森山工 贈与と交換の人類学

贈与と交換をめぐる人類学的な考察には長い蓄積があります。本講では、それらのうちの代表的なものを検討しながら、贈与と交換が社会形式と社会関係に対して持つ意義について考察をほどこします。


森山工 フィクションとエスノグラフィ

文学思想研究におけるフィクション論の展開を視野に入れ、それと人文社会科学、とりわけ文化人類学=民族誌学的な研究領域、とりわけそこにおける物語の構築とのかかわりについて考察する。   


山下晋司 公共人類学

「公共哲学」「公共文化」「公共政策学」「公共社会学」など「公共」を冠した研究分野があちこちで立ち上がっている。人類学も例外ではない。 「公共人類学」とは、公共領域における人類学の貢献をめざすものであるが、この授業では日本における公共人類学の構築に向けていくつかの試みを紹介し、議論する。 参加者は自らの関心に応じて、文献等を調べ、集中講義期間中に発表し、レポートを提出する。   

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