大学院授業[2016]
東京大学大学院・総合文化研究科・超域文化科学専攻
文化人類学コース 開講授業 [2016年度]
川中子義勝 宗教と啓蒙―ヨハン・ゲオルク・ハーマン(Johann Georg Hamann 1730-1788)研究(1)
J・G・ハーマンの晩年の主著『ゴルゴタとシェブリミニ(Golgatha und Scheblimini 1784)』を購読する。
川中子義勝 宗教と啓蒙―ヨハン・ゲオルク・ハーマン(Johann Georg Hamann 1730-1788)研究(2)
J・G・ハーマンの思想を紹介していく。『ソクラテス追憶録』、『美学提要(美学の胡桃)』、『メタクリティーク』、『ゴルゴタとシェブリミニ』などを扱う予定。春学期の授業内容は前提としないが、『ゴルゴタとシェブリミニ』を少し残したので、最初に読む予定。
岩本通弥 現代民俗学入門
文化人類学の一部門あるいは近接科学として展開してきた民俗学(Folklolistics,Folklore-Sutudies, Volkskunde)の学史をふまえるとともに、最近の動向を俯瞰する。説明は日本および東アジアの事例を主として用いながらも、日本のみならず、ドイツやアメリカの民俗学の翻訳論文も使って、現代民俗学の全体像を概観する。
福島真人 「未来」をめぐる科学技術人類学
われわれが日常的に行う様々な実践は、単に過去の振る舞いの反復という面をこえて、まだ見ぬ未来についての、ある種の予測や期待が常に含まれている.こうした側面は、現代の社会生活の全体において、様々な知識や技術の助けをかりてより強化、拡大されている.テクノロジーの発展は、それが将来どうなっていくかという「期待」を常に必要とする.地球温暖化の論争は、現在のCO2の生産が将来の気候にどう影響を与えるかについての「予測」に基づいている.現在いわれている様々な将来への態度、たとえば災害の「リスク」についての多くの議論もまた、ある種の予測をベースにした議論である.
もっといえば、我々の社会は、我々がもつ将来への想像図に大きく依存するといえる面もある.我々がさまざまな領域で想像する未来の姿(それは文学等も含む)は、結果としてそうした社会のイメージを作り出し、それが現実の政策に影響をあたえる. その意味では、われわれが未来をどう考えて、どう予測しているか、そうした「未来」への視座が、どのような形で、科学技術を含めた、我々の社会のダイナミズムと関係しているかを探求するのが、この授業(演習)の目的である.
福島真人 社会/文化/テクノロジーは設計できるか? 新たな制度デザインについての、文化人類学的、科学技術社会論的研究
我々の周辺にある多くの技術やテクノロジーは、単に科学的知識がモノに変化したものではなく、我々の様々な欲求や想像が、形をなしたものである.その意味では、テクノロジーとは、科学人類学者であるBruno Latourが喝破したように「社会が形になったモノ」なのである. とすれば、テクノロジーの文化/社会的な研究とは、そうした社会の欲望そのものを分析し、それがどういう形でモノになっていくかを研究するものである.
このように、テクノロジーが社会そのものによってつくられるとすれば、では社会(あるいは文化はどのようにつくられるのであろうか.社会や文化は、ちょうどテクノロジーがそうであるように、まず設計者とデザインがあり、それによってつくられるのであろうか.それとも社会や文化というのは設計できない何かなのであろうか? 設計されたテクノロジーはしばしばユーザーの希望とは異なるものになることがあるが、では設計された社会や文化は設計者の意図と通り、好ましいものになるのであろうか?
近年世間を騒がせた、Brexit騒動、つまり英国のEU離脱というのは、EUという、一部のエリートによって構想、設計された新たな国際的な枠組みに対する人びとの拒否という面をもっている. これは善意で設計された社会制度が、多くの人びとの期待に反しているという現状を示しているが、このように、社会あるいは文化を意図的に設計することが本当にできるのか、それに対する疑問の声は多い. 他方で、様々な社会的問題、たとえば地球温暖化、人口減、環境問題、宗教対立等に対して、新たな制度を設計することで対応しようと考える向きも少なくない.
この授業(演習)では、テクノロジー、社会、文化という三つの項目を中心に、これらを設計、構想し、運営するという考え方がもつ特徴、問題、限界について議論する. 文化人類学のような学問は、長いこと単に研究対象を調査し、報告することをその目的としてきたが、最近では、より積極的に社会に介入し、新たな方向性に導こうとする努力もみられる. これは特定の制度や社会を設計していこうとする考え方である. 他方で、そもそもこうした介入や設計ということ自体が、不可能、あるいは望ましくないという考え方もある. 社会や文化の設計をめぐるこうした対立を、テクノロジーが構想されてから、現実に作られ、さらに社会のなかで実際に使用される長いプロセスと対比しながら、比較分析するのが本演習の目的である.
箭内匡 感覚イメージの人類学
近年、神経科学における感覚や知覚の研究は著しい発展を遂げている。人類学においても感覚の問題が注目を浴びてきているが、そこでの多くの議論で前提となっている文化の枠を外して、神経科学の新しい知見と付き合わせながら、(いわゆる感覚人類学とは異なった)感覚イメージの人類学を構想してみることもできるだろう。この授業ではそのための基盤作りとして、感覚知覚心理学などの領域で何が理解されてきたのかを確認しつつ、感覚人類学や感覚をテーマとした民族誌、および人々の感覚経験を記述した本などを検討してみたい。
箭内匡 博士論文ライティングアップ・セミナー
文化人類学コースにおいて博士論文を書き上げるためのセミナー。フィールドワークを終え、博士論文を準備中、或いは執筆しつつある文化人類学コースの博士課程の大学院生のみを対象とする。発表者が博士論文のドラフトの一部を発表し、セミナー出席者からのコメントを受けることで、論文完成へとつなげることを目的とする。
田辺明生 倫理の人類学ー宗教・情動・政治
人類学の「倫理的転回」が語られるなど、近年の文化人類学においては「倫理」(ethics, morality)が中心的なトピックの一つとなっている。本授業では、文化人類学において倫理やモラルの問題がどのように論じられてきたのかを概観すると同時に、特に現在の人類学における「倫理」をめぐる問いを主要な理論的著作と民族誌を参照しながら論じていく。倫理の問いは、宗教、情動、政治といった広い問題と不可避的に関わっている。倫理の問題を軸としつつ、現代世界および現代人類学を問い直すことを試みる。
田辺明生 ポストゲノム時代の人種とエスニシティ
本授業では、ポストゲノム時代における「人種」と「エスニシティ」について考察する。昨今の人類学においては、本質主義批判や社会構築主義の強い影響力のもと、人種というカテゴリーは生物学的な基盤を有さず、言説的に構築されるものであると理解されてきた。エスニシティ(民族)のカテゴリーも同様に、本質主義的な基盤をもたないとされた。しかしこれらのカテゴリーは単に恣意的につくられるものなのだろうか。ヒューマン・ゲノム・プロジェクトが人間のゲノム配列をすべて読み解いたとき、それは人間の生物学的共通性を決定的に明らかにし、人種概念を最終的に葬り去るかと思われた。しかしその後、つまりポストゲノムの研究は、人間の共通性より遺伝的な多様性に着目するようになっている。たしかにどの人間も99.9%のDNAを共有する。しかし残りの0.1%は人間の生物学的なバリエーションを示すのだ。そのなかで「人口集団」の諸カテゴリーは、遺伝学的な多様性に関する科学的知見を蓄積し、医学・薬学の効率的進展のために用いられる。それらは、ポストゲノム時代に新たに再生した人種とエスニシティである、と言ってよいかもしれない。ポストゲノム時代の人種とエスニシティは、社会的に構築されるところもあるが、生物学的な基盤がないわけではない。それは自然/社会をまたがる生物学的・文化的な事象であるといえよう。これは科学的課題であるだけではなく、巨大な利権、人口統治、生命倫理に関わる問題であり、人間をいかに語るべきか、という古くて新しい問いを人類学に突きつけている。この授業では、ポストゲノム時代の新たな人間観、そして生政治、生経済、生倫理について、理論的・民族誌的に論じていく。
渡邊日日 人類学というジャンルはどこにあるのか、存続しうるのか
学問の一分野というのも、あらゆる生命体と同様、誕生し、生存し、死滅し、腐乱し、他の生命体の糧となると考えられるだろう。文化人類学もその例にもれない。様々な隣接分野に囲まれ、その戦線では、食うか食われるかの死闘というと大げさであろうが、絶え間ない「生存競争」が繰り広げられている。そこで考えなければならないのは、人類学固有のジャンルとはいかなるもので、今、どこにあるのか、である。これをさしあたり〔ジャンル問題〕と称せば、〔ジャンル問題〕はさらに、人類学の「死」のあと、その屍体は誰の/どこの「糧」となるべきなのか、なりうるのか、という〔遺産相続先問題〕をも内包するであろう。いま/ここで、〔人類学をする〕とはどういう営みなのか、近年の「人類学の終焉」論を逆説的な手がかりとして、思料していきたい。
渡邊日日 視る・観ることの人類学点描(探究の人類学シリーズ)
およそ考えたり、気づいたりといった行為は、多くの場合、「あれ?」という〔関心〕や〔疑問〕があり、それらが何事に対して視線や注意を向けさせることから始動する。これが、プラグマティズムの哲学者の指摘を待つまでもなく、探究の初期段階である。およそ研究行為のほとんどはこうした経緯を取るものであり、その意味で文化人類学に固有の話ではない。だが、フィールドで〔問い〕を〔発見〕するという民族誌的フィールドワークを自身の重要な一構成要素としている人類学は、視る(seeing)・観る(observing)の問題系を特権的に扱っても良い権利を有している。視る・観るということ、広くは注意を向ける、という〔構え〕について、Wolcott, Harry F., (2008) Ethnography: A Way of Seeing, Lanham: AltaMira Pressなどを読みながら考えていく。
関谷雄一 移す技術、伝染る文化:技術移転と文化変容
開発分野で実践されてきた技術移転と文化伝播&変容の諸現象は相通ずるところがありながら、前者は開発学、後者は人文科学の諸領域で議論されてきた。本講義は技術移転論と文化変容論に関わる諸議論を、開発学と人文科学、それぞれで展開されてきた先行研究に基づき分析する。技術はどうすれば広まるのか、文化はどうして「伝染る」のか。移されてきた技術の行く末と、病気のように感染し広がっていく文化現象の動態をミクロからマクロまで俯瞰する視座を構築していく試みである。
関谷雄一 貧困と不平等の人類学
本講座では、グローバル化した今日的世界における貧困と不平等に関する考察を行う。国内外の貧困と不平等をテーマにした先行研究を元に、貧困と不平等という問題群に対してフィールドワークに基づく質的研究を行ってきた人類学がどのような視座を与えてきたのか、どんな課題が残されているのかについて、隣接する学問による研究との比較もしながら、文献講読と議論を通して検討してみたい。
津田浩司 宗教現象の人類学
人類学において宗教がどのように論じられてきたかについて、教科書的に編まれた文献を読みながら種々の分析視角を養う。あわせて民族誌的論文を読み、個別的事例から人類学的にいかなる知見を導き出せるかについても考える。
津田浩司 民族論の展開(2)
「民族」を「民族」として論じることが自己撞着的で本質主義的であることは、すでに多くの論者によって指摘されている。このゼミでは、「民族」を所与の説明原理としてブラックボックス化することなく、いかにして「民族」にまつわる(とされる)現象を論じることができるかを、文献を読みながら討議する。なお主要な検討対象としては、いわゆる「華僑・華人」に関する諸研究を想定しているが、それ以外の領域に関心がある学生の参加ももちろん歓迎する。
名和克郎 人類学的集団範疇論再考
従来の議論の理論的前提への異議申し立てと、グローバルに展開する範疇化の過程の双方を見据えつつ、集団範疇論を再考する。古典の再読と、近年注目された幾つかの議論の批判的検討を往復する形で議論を進めていきたい。
名和克郎 民族誌乱読
長期のフィールドワークに基づき民族誌を書くというスタイルが社会・文化人類学において重視されるようになって、1世紀近くが経過した。このスタイルに対する様々な批判や、人類学自体の拡散と変容にもかかわらず、現在も民族誌の刊行は営々と続いている。
ここでは、原則日本語及び英語で書かれた多様な民族誌を1回につき1冊取り上げて議論することで、現在「フィールドワーク→民族誌」によって何がなし得るのかを、具体的に考えていきたい。主要な目標は、「民族誌」なるものについて論じることではなく、民族誌が現在持つ様々な可能性(或いはその限界)を具体的に考えると共に、人類学的な営みの広がりに関する一種の土地勘をつけることにある。
名和克郎 博士論文ライティングアップ・セミナー
文化人類学コースにおいて博士論文を書き上げるためのセミナー。フィールドワークを終え、博士論文を準備中、或いは執筆しつつある文化人類学コースの博士課程の大学院生のみを対象とする。発表者が博士論文のドラフトの一部を発表し、セミナー出席者からのコメントを受けることで、論文完成へとつなげることを目的とする。
森山工 「方法」としてのフィールドワーク
フィールドワークによって質的データを収集するということは、文化人類学という学的営為の中核をなしている。かつて岩田慶治は、フィールドワークというアプローチを、「(1)とびこむ、(2)近づく、(3)もっと近づく、(4)相手の立場に立つ、(5)ともに自由になる」こととして提示した。では、このプロセスを「方法」として位置づけようとしたとき、フィールドワークのどの部分が「方法化」に馴染み、どの部分が馴染まないのか。これを検討する中で、むしろ「方法化」に馴染まない部分を自覚的に取り出すことによって、文化人類学的なフィールドワークと、そこで構築される他者理解の一つのありようについて考察する。
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