大学院授業[2011]
東京大学大学院・総合文化研究科・超域文化科学専攻
文化人類学コース専任教員 開講授業 [2011年度]
船曳建夫 食と食欲、味覚に関する理論と考察
食と食欲、味覚についての文化人類学、及び関係諸学の研究を調べ、食べることと「食欲」に関する議論を行う。これは教養学部後期課程との合併授業である。
船曳建夫 博士論文 Writing-Up セミナー
船曳建夫 博士論文 Writing-Up セミナー
文化人類学コースの博士論文を書き上げるためのセミナー。キーワード:論文構想、先行研究、データの処理、理論、記述、書くこと [一覧に戻る]
山下晋司 多文化主義の批判的検討:「一つの世界にともに生きることを学ぶ」
グローバルな人の移動に伴う多民族社会、および多文化主義の抱える問題点について批判的に検討しながら、今日、窮地に陥っている多文化主義を乗り越えて「一つの世界にともに生きることを学ぶ」(M・ミード)。
木村秀雄 経済人類学
経済人類学のさまざまな流儀を概観したのち、農村経済(特に教員が専門調査領域とする南アメリカ高地)の調査研究にふさわしい理論・方法は何かを考える。扱うテーマは、互酬・モラルエコノミー・ポリティカルエコノミー・プランテーション・アシエンダ・先住民共同体などを予定している。
木村秀雄 経済人類学
夏学期に続き、「資本」ならびにその周辺概念について考える。
川中子義勝 聖書の神話論
旧新約聖書の記述にはさまざまな「神々」が登場する。聖書が正典として整備され、ヘブライ・キリスト教思想が形成されていく過程で、異なる思想・宗教との出会いは、危機や葛藤を導く一方で、信仰・思想の充実と深化をもたらした。この講義では、その状況を預言者や「詩篇」などに表れた叙述を介してたどる。古代オリエントの神話をも参照しながら、神話論の観点から聖書を読んでいく。キリスト教のヘレニズム化の過程において古典古代の異教が「神話論」として保存される、その解釈の手続きなどと比べつつ、ひろく神話の問題を考えてみたい。聖書の知識を前提としない者が多数の場合には、ヘブライ・キリスト教の思想的前提を整理することから始め、旧約聖書・新約聖書の思想展開を予め概括する。そのような関心からの受講も歓迎する。
川中子義勝 内村鑑三を読む
明治期、キリスト教の使信が再び告知されていく過程で、日本の文化的伝統がこれとどのような出会いをしたかを、内村鑑三という個人の対応をたどりつつ、検証する。今回は、そのうち「天然(自然)」観をテーマとするものを読んでいく。これによって、(いわゆる欧米の偏差を被った)聖書的世界観と日本的伝統との接続と齟齬の問題を照らし出す。自伝(「余は如何にして基督信徒となりしか」)などから自然への言及を辿ったのちに、自然科学論や風景論などを具体的なテーマとして扱う予定(「地理学考」など)。評論や近現代詩など同時代の日本の自然観や、日本神話などにふくまれる自然観などと比べながら、ひろく近代と自然の関係を日本の事例において見ていくことになろう。
福島真人 知識の政治学-科学技術と政治のインターフェイス
本演習の目標は、科学技術に代表される知識のシステムが、政治過程とどのような関係にあるか、その両者の相互作用を分析することにある。科学技術と社会の相互関係は近年多くの分野で関心を呼んでいるが、特に科学技術政策や様々な規制を通じて、科学技術と政治は複雑な関係の中にある。ここでは知識および政治と言う言葉の持つ広がりに着目して、知識を日常レベルのそれから専門家集団による高次の知識、政治もミクロの政治から、マクロの政治過程という形で大きく幅があるものと捉えた上で、この両者の関係を観察することを目的とする。
福島真人 知識の政治学-科学技術と政治のインターフェイス2
現代社会においては、従来の自然と文化の古典的バウンダリが問題化され、新たなモノの出現による人工的自然と文化社会の関係が問われるようになってきている。こうした領域への研究には多様なアプローチがあるが、ここではさまざまなモノやテクノロジと人間社会とのかかわりを、ある種の生態系に見立てて、テクノロジの生態学的な演習をおこなう。テクノロジにはさまざまなタイプがあるが、モノとして見立てられる個別の製品から、社会全体を覆うシステムのようなものもある。またテクノロジの発展は、ある種のニッチ的な部分からそれがレジーム化し、さらにグローバルなランドスケープにいたるというミクロマクロの動態がある。 今学期は、そうした多様なテクノロジの展開を、それぞれの固有の性質と、社会への関わりを中心に議論していく。社会と技術はいわば共進化的であるが、その絡み合うプロセスを個別のケースをもとに議論していく。
木村忠正 コミュニティと情報ネットワーク
1990年代半ば以来、インターネット、移動体通信の急速な革新と普及に伴い、情報ネットワーク研究が、文理問わず、様々な分野で広汎に展開されている。担当者は、文化人類学の観点を活かしながら、情報ネットワーク研究に取り組んできた。この授業では、コミュニティ(オンラインコミュニティ・地域社会)と情報ネットワークとの関係について、これまでの議論、プロジェクトについて批判的に検討する。情報ネットワークは、サイバースペースという新たな社会的活動空間を創出し、オンラインコミュニティ、オンラインによるネットワーク(つながり)を生み出してきた。それと同時に、地域コミュニティに関し、社会の多様化によって失われてきている、地域のつながり・社会関係(「地域力」)を情報ネットワークによって活性化しうるのではないかとの期待、e-democracyなど社会的統治のあり方を変えるとの期待が寄せられ、多様な試み、実践が行われてきた。そこで、この授業では、コミュニティ(オンラインとオフライン)と情報ネットワークとの関係について、社会的ネットワーク分析の視点を導入しながら、批判的に検討し、ディスカッションを行う。
木村忠正 グローバリゼーション・メディア・デジタルデバイド
1990年代半ば以来、インターネット、移動体通信の急速な革新と普及に伴い、情報ネットワーク研究が、文理問わず、様々な分野で広汎に展開されている。担当者は、文化人類学の観点を活かしながら、情報ネットワーク研究に取り組んできた。この授業では、情報ネットワークと不可分の関係にあるグローバリゼーションを、情報、知識産出様式の変化、情報メディアへのアクセスと富・リスクの産出・分配の観点から検討し、情報ネットワーク社会に関する批判的理解を深める。
箭内匡 人類学的フィールドとしての南米先住民社会
南米の先住民社会は、大航海時代以来、西欧社会の鏡としての意味を持ってきた。古典的人類学におけるその重要性は、レヴィ=ストロースの名を挙げるだけで十分だろう。この授業では、近年の研究の理論的・実践的風景の更新を踏まえ(前者としてはE・ヴィヴェイロス=デ=カストロらの仕事がある)、哲学的が意味での主体や所有のテーマを基軸として、部分的には開発の問題や映像制作などをも視野に収めつつ、人類学的フィールドとしての南米先住民社会を、今日的視点から探索する。ただし枠は柔軟に捉えることにし、必要に応じ、北米・中米の先住民社会や、南米の先住民以外の社会も議論の対象に含めるかもしれない。
渡邊日日 多文化主義と公共性:政治人類学の再編成Ⅴ
多文化主義と公共性をめぐる、近年の人類学・社会学・政治学の英語文献を読みながら、多文化主義とその後のバックラッシュについて、「文化」の言説を期待されてしまう人類学のジレンマを引き受けながら、考察する。【キーワード】多文化主義、公共性、政治人類学、移民、民族(エスニシィ)、セクシュアリティ、集団と範疇、政策など。
渡邊日日 同時代性を扱うとは如何なる作業なのか:現代人類学の裾野Ⅱ
同時代の現象を民族誌的に記述・議論する視座は,どのくらい理論的掛け金が含まれているのか,乃至はいないのか。この問題意識に基づき,昨今の人類学の英語文献を様々なテーマに渡って読みながら,人類学の現在を考えたい。 【キーワード】同時代性、フィールド;リスク(・コミュニケーション)、環境変動、社会運動、病・疾患、法医学、組織事故、貧困など。
名和克郎 人類学の講演を読む
社会・文化人類学史上重要でありながら優れた日本語訳の存在しない幾つかの英語の著作(の一部)を読み、その現代的意義について議論する。
名和克郎 民族誌の可能性を考える
各時代・潮流を代表する英語の民族誌、及び近年刊行された英語・日本語の民族誌を出来るだけ数多く読み、そこから「民族誌」の現時点での可能性を考える。目標は、個々の民族誌或いは「民族誌」なるものについて論じることではなく、現時点で民族誌的な作業をよりよく行うための手掛かりを得ることである。
関谷雄一 相対主義的発想と持続的開発(Thoughts of Relativism and Sustainable Development)
途上国開発の現場で起こる様々な葛藤は、貧困という大問題に起因するのは言うまでもないが、開発と文化をめぐる相対主義的な発想や考え方が、開発を立ち止まらせたり、より良くしたり、または深く考え直したりするきっかけとなっていることも興味深い。本講義ではそのような相対主義的思考の過程を経て持続的開発を導き出す方法論を先行研究や事例を参照しながら考察する。
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