授業[2020年度]

岩本通弥 現代民俗学と語り研究

民俗学の古典である柳田國男『明治大正史世相篇』(1993=1931)を講読に並行して、文化人類学の一部門あるいは隣接科学として展開してきた民俗学(Folklolistics,Folklore-Sutudies, Volkskunde)の学史をふまえることを目指し、アルブレヒト・レーマンの意識分析・語りの理論を中心としたドイツ民俗学の動向、及び日本側の対応を概観する。

岩本通弥 現代民俗学として世相史を試みる

民俗学の古典である柳田國男『明治大正史世相篇』(1993=1931)を講読するのに並行して(第3章「家と住み心地」を扱う予定)、それにならって1999年と2004年に同時代の民俗学を目指して編まれた『民俗学の冒険』➀~➃(筑摩書房、1999年)と『都市と暮らしの民俗学』➀~➂(吉川弘文館、2004年)に掲載された論文を合わせ読み、その後の展開を考察することを目標とする。

参考文献に掲載した諸テクストは、刊行からほぼ15年あるいは20年が経過しており、2回目の発表では、テクストの概要あるいは論点を整理したうえで、2020年現在の地点から補足・発展させつつ、現代の世相あるいは事象について、民俗学の立場から考察することを目指す。


福島真人 ランドスケープ-文化、アート、テクノロジー

ランドスケープは、近年のRoutledge社 の浩瀚なLandscape Studies というハンドブックに代表されるような、学際的な研究分野で、文理にまたがった多くの議論が存在する。その中には建築学や都市工学、庭園学といった理工学系諸分野のみならず、人文系諸科学(歴史学、社会学、人類学、人文地理学、政策学等)、さらには様々なアート関係の分野がふくまれ、自然、社会/文化、アートの複雑な絡み合いに関心がある人にはもってこいの分野である。

このランドスケープという概念は、従来「景観」と訳されることが多く、基本的に環境がもつ審美的な側面に関心が限定されてきた。また”Land”-scapeという部分に代表されるように、農村的なもの、というニュアンスが英語にも残っている。しかし近年の議論では、「地域社会の法的、慣習的な仕組み」という意味の原語が、風景画の流行から美術化され、美としての環境(庭園)という形で、法とアートが複雑に交錯してきたとされる。更に近年では、都市のテクノロジー的環境を都市のランドスケープとして再考する、いわゆるLandscape urbanism という潮流も存在し、都市のテクノロジー・インフラがもつ審美的可能性が議論されている。テクノスケープといった新たな観点も興味深い。

このようにランドスケープを巡る議論は、法(地域社会)、アート(風景画)、自然(農村)、テクノロジー(都市インフラ)といった諸側面が複雑に交錯する分野であり、近年の景観論争(例えば無電柱化論争)に代表されるように、政策的イシューともなりうる。本演習では、こうした諸要素の絡み合いを、特にSTS(科学技術社会学)、社会・人類学、歴史学、アート研究といった視点を交差させ、その代表的な論点にかかわる本、論文を講読し議論するものである。

福島真人 未来を知る、未来を創る-来るべきものの人類学(社会学、科学技術社会論(STS))

われわれにとって「未来」とは、人知をこえて推移するもの【なる】と、われわれが自分でつくり挙げるもの【創る】の、いわば中間にある。こうした未来について、われわれは多くの形で対応してきた。例えば伝統社会では占いや宗教的予言で、そのあり方を知ろうとし、テクノサイエンス時代では、それは数理モデルやビックデータを使った「予測」になる。実際現在ではその両方が盛んである。結果、われわれの周辺には未来を巡る言説、数字、イメージが横溢する社会になった。

われわれの社会を理解するには、これらの様々な「未来」(像)の働きを正確に理解する必要がある。例えばこれから生れるテクノロジーの開発には、これから来る、その未来像を正当化し、宣伝する「期待」という言説が必須となる。それは時にはテクノロジーを巡る熱狂(ハイプ)となり、社会全体が大騒ぎとなるが、熱狂が失望に変わると、テクノロジーの発展自体が疎外されることになる。また現在コロナウィルス等で騒がれている「予測」も、限定されたデータと数理モデルにもとづくものだが、その結果は一人歩きし、政策、社会、メディアを駆けめぐり、大騒ぎがおきている。日本社会がこうしたモデリングにいかになれていないか、その無知が晒されている。

他方、こうした未来を語る言説は、語ることで未来を作り出すという力もある。自己実現的予言とは、そう語ることで皆が動き出し、結果としてその未来が作り出されてしまう現象を示す。まだ逆に予言によって悲惨な未来が回避され、災難を防ぐこともある。(しかしその場合は、予言の貢献が認められない場合もある)。更にアートや文学が作り出す未来像が、巡りめぐってそうした未来を作り出してしまうという側面がある。例えばマルクス主義のような政治思想にも、 宗教的、千年王国的、終末論的な未来像が埋め込まれており、それは近年の人新世(anthropocene)についての何となく上っ面な議論で再燃している。またテクノロジーを推進するエネルギーのうちにアートや文化のイメージが潜在することはよく知られている。

つまり一見中立的な【なる】未来と、われわれが【創る】未来は、複雑に絡み合っており、そこには科学技術からアート、更には宗教にいたるまで多くの要素がその形成に関連しているのである。

本演習は、こうした未来形成の多様な姿についてのリテラシーを、人類学、社会学、科学技術社会学(STS)、アート研究等を融合しつつ、えることを目的とする。


箭内匡 バイオミミクリーと人類学

「バイオミミクリー」(生物の模倣)は、ジャニン・ベニュスの1997年の著作を発端として、近年広く知られるようになった概念だが、科学的・工学的応用を主眼とする「バイオミメティクス」とは異なり、自然の模倣が人間自体を変化させていくことを視野に入れている点で、人類学的にも興味深い。自然の模倣がかつての人類に広く見られた特徴であるという意味で、それは古典的な人類学にも通じており、同時に今日の科学技術とも関わっている。

この授業では一方でベニュスの著作と近年のバイオミミクリーに関する文献を読み、他方では、いくつかの人類学のアクチュアルな議論を取り上げて、それらの反響関係の中で人類学的考察を進めていきたい。「バイオミミクリーと人類学」というタイトルにもあるように、授業の目的は「バイオミミクリーについて」掘り下げていくことではなく、むしろ、バイオミミクリーに触発されながら今日的な人類学の方向性を考えていくことである。これまでの授業との連続性から、「植物人類学」的なテーマも多く出てくるはずである。

関連するテーマで研究している(主として文化人類学の)大学院生による、独自の視点からの発表も含めることを想定している。

箭内匡 「イメージの人類学」演習


従来のように文化や社会の概念をもとにするのではなく、イメージの概念をもとにして人類学を根底から再構築する営みは、近年さまざまな形で実践され始めている。これは裏返せば、人類学の対象を人間的世界に焦点化するのではなく、人間を取り巻く自然や科学技術などにも視野を広げることにもなるが、こうした視点は、気候変動や伝染病の蔓延といった、今日我々が直面する現実を考えるうえでも有益な視点であるだろう。

 拙著『イメージの人類学』は、こうした角度からの現代人類学的展望を独自の視点から提示したものだが、今回のゼミでは、この本における議論を背景に据えつつも、そこから一定の距離のある素材を読んでいくことにしたい。授業計画に挙げた文献ないし著者の名前は暫定的なものだが、イメージ概念、フィールドワーク、オラリティ、自然観、芸術、宗教などに関わるものである。このゼミでは日本に関する文献もいくつか取り上げ、私たち自身が(少なからぬ場合にそれと意識せずに)拠って立つ日本の思想的伝統についても反省的に考えてみたい。


田辺明生 現代インド論--歴史人類学的視点から

本授業は、大きく変わりつつある現代インドの様相を理解するために、どのような新たな視角と枠組が必要かを歴史人類学的視点から検討する。現在のインドの動態を支えるメカニズムを理解するにあたっては、グローバルな文脈と国家レベルの変容をおさえながら、現代インドがつくってきた独自の発展のかたちに着目する.そして地域固有の〈生態環境〉のなかで発展してきた〈政治経済〉〈社会文化〉の構造と歴史的変化を長期的な視野において検討する。そのうえで,インド独自の発展径路やデモクラシーのかたちを総合的視野から明らかにし、それが現在の政治経済社会の活況そして問題といかに結びついているかを把握することを試みる。それは、欧米の発展モデルとも東アジアのそれとも異なる「南アジア型の発展径路とデモクラシー」のありかたを探る試みとなるであろう。

田辺明生 人種と人種主義の歴史人類学

 本授業では、人種と人種主義をめぐる現在の学術的知見を確認するとともに、新たな様相をとりつつ絶えることなく続いている人種差別を理解するためにどのような新たな視角と枠組が必要かを歴史人類学的視点から検討する。人種というカテゴリーは生物学的な基盤を有さず、社会的に構築されたものであることは、すでに常識に等しい。しかし、それにもかかわらず、人種差別は今日に至るまで執拗に続いている。このことは、人種というカテゴリーが、単なる思い込みというレベルにとどまらず、現代世界における政治・社会・科学の諸制度に深く根づいていることを示唆している。本授業では、人種差別という現象を理解するために、その根幹にある人種化(racialization)の歴史と構造を、知と権力のメカニズムとの関連において理解することを目的とする。そこでは人種を、植民地主義、資本主義、国民国家、移動・移民、医学・ゲノム科学、ジェンダー・セクシュアリティなどとの関係について考察することになる。また欧米における、身体形質を中心とした人種理解を超えて、東アジアおよび南アジアにおける「人種」(部落差別やカースト)も視野に入れることにより、よりグローバルな人種理解を目指す。


渡邊日日 博士論文ライティングアップ・セミナー

原則として、民族誌の形をとった博士論文を執筆している文化人類学コース博士課程の院生を対象としたゼミ。フィールドワークを終えてからどのようにして、〈まとまりのある文の塊〉を形作っていくか、幾つかの事例を読み解きつつ、〈実践〉を行い、参加者同士で共有し、そしてさらなる次の〈実践〉へとつなげていきたい。受講希望者は事前にメールを送ること。具体的にどう行っていくかから受講者と話をすることから始めたい。


関谷雄一 農業と文化人類学

昨今の食への関心は、人々に農業について改めて見直すきっかけをつくった。文化人類学が古くからフィールドにしてきたのは農村や漁村など、農業を営む人々の社会であった。本講座では、農業に関する文化人類学の先行研究を取り上げながら、学説的潮流をつかみ、最新の研究についてもその位置づけを確かめることを目的とする。

世界の食糧安全保障確保と貧困撲滅に大きな役割を果たすと期待されている家族農業への理解・施策そして発展的展開を求めて国連が2019年から2028年までを「家族農業の10年」と定めた。この国際的な認識に関しても、文化人類学の視座から考察していくことを目指す。

関谷雄一 病と向き合うアフリカ / Africa Faces Diseases

本講座では、病と向き合うアフリカ社会を取り上げた代表的なモノグラフや論文、あるいは専門機関の報告やSNS等で入手可能なナラティブ・記述などを分析し、アフリカの人々がこれまで病気とどのように向き合ってきて今に至り、この新型コロナ禍を経てどのようなことを達成し、あるいは課題を残したのかを検討する。そこにアフリカ以外の地域の人たちが学ぶことができる教訓があるとすれば、それはどのようなものであるかを考察してみたい。


津田浩司 (サバティカルのため授業なし)


宮地隆廣 ラテンアメリカを中心とする途上国比較政治の文献講読

最近10年のラテンアメリカ諸国の政治に関する主要な議論の動向を理解し、比較の視点から批判的に検討できるようになること。

宮地隆廣 ラテンアメリカを中心とする途上国比較政治の文献講読

最近10年のラテンアメリカ諸国の政治に関する主要な議論の動向を理解し、比較の視点から批判的に検討できるようになること。


名和克郎 言語人類学入門

社会・文化人類学者が行うフィールドワークにおいて通例大きな比重を占めるのが、言語を用いた情報の収集である。その過程で得られる「現地語」による資料は、言語学者の抽出する文法にも、翻訳された意味にも解消されない様々な情報を含み、多様な分析に対して開かれている。ここでは、音声学、音素論から会話分析に至る言語データの様々な取扱い方を、出来る限り具体的な形で紹介すると共に、「言語人類学」と大まかに総称し得る一連の研究を、社会言語学をはじめ周辺諸学の動向も踏まえつつ検討し、人々が行う言語を用いたやりとりから見えてくる言語と社会・文化をめぐる複雑な関係について議論していきたい。

名和克郎 博士論文ライティングアップ・セミナー

文化人類学コースにおいて博士論文を書き上げるためのセミナー。フィールドワークを終え、博士論文を準備中、或いは執筆しつつある文化人類学コースの博士課程の大学院生のみを対象とする。発表者が博士論文のドラフトの一部を発表し、セミナー出席者からのコメントを受けることで、論文完成へとつなげることを目的とする。


藏本龍介 (在外研究中のため授業なし)


森山工 フランスにおけるポスト植民地体制の展開

1960年代から70年代にかけて、フランス海外県では女性の身体に国家が介入し、本人の同意を得ない堕胎術や不妊術が行われて、一大スキャンダルを引き起こした。これは、かつてフランスによる植民地支配を受け、今や海外県としてフランス国家の一部をなす地域にあって、ポスト植民地体制がいかに植民地体制を引き継ぐものであるのかを示している。それと同時に、フランス革命に淵源をもつフランス共和主義が、逆説的ながらも、それに内在するものとしていかに植民地主義と不可分であり、ポスト植民地体制にあっても不可分であり続けているのかを示してもいる。

本授業では、フランス海外県のレユニオン(インド洋南西域)を主要な舞台として取り上げつつ、ポスト植民地体制における植民地主義の持続、共和主義と植民地主義との共犯性、国家と「身体」、とりわけ「非白人」であり、かつ「女性」である「身体」との関係を検討する。また、そこにおけるフェミニズムの位置取りについても批判的な検討を加える。

森山工 ポスト植民地期におけるフランスとアフリカとの関係

19世紀の末にフランスによって植民地化されたアフリカ地域(仏領西アフリカ、仏領赤道アフリカ、マダガスカル等)は、20世紀前半において「フランス帝国」の枢軸をなした。だが、第二次世界大戦を経てフランスの植民地体制が再編されるなかで、アフリカ地域の各植民地は、主に1960年にフランスからの独立を遂げていった。こうしてポスト植民地体制が定立される動向にあって、逆説的ながら、アフリカ地域の旧フランス植民地は脱植民地化に向かうことなく、新植民地主義に緊縛されてゆく。第5共和政のフランスにとって、アフリカはもはや「帝国」の一部ではなくなったものの、フランスが国際的なプレゼンスを高め、維持してゆく上で不可欠の役割を担わされることになったのである。

本授業は、植民地化以来のフランス-アフリカ関係を踏まえつつ、このようなポスト植民地状況が新植民地化に結びつく動向を、具体的な事例や人物(ドゴール、フォカール等)を挙げて把握し、現代フランスの対外関係の一端について考察することを目標とするものである。

東京大学授業カタログもご覧いただけます。

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